映画『国宝』感想:芸に生きるって、どういうこと?

基本データ

  • タイトル/公開日:『国宝』/2025年6月6日
  • 監督:李 相日
  • キャスト:吉沢亮、横浜流星、渡辺謙
  • 原作/作者:国宝 /吉田修一
  • あらすじ:
    後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
    この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
    そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
    正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
    ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく…。

感想

観る前は、才能ある青年が逆境を乗り越えて成功する——そんなわかりやすい物語だと思ってました。歌舞伎の名門に生まれた俊介と対立しながらも、喜久雄がその才能で名を挙げていく、いわばシンデレラストーリーかなと。

でも実際は、そんな単純な話じゃなかった。
描かれていたのは、歌舞伎という伝統芸能の世界の複雑や、芸術を極める人が背負う孤独や犠牲
観ているうちに、どんどん胸がざわついていきました。

喜久雄は前半、圧倒的な才能を披露し、俊介を横目に華々しくデビューします。
その後も、消息を絶った俊介の代わりに俊介の父を支え続け、歌舞伎の世界で名を上げていきます。
しかし、俊介の父が亡くなったことをきっかけに、二人の立場は逆転します。

それまで姿を消していた俊介が、血筋の力を背景に歌舞伎界で次々と台頭し始める一方で、喜久雄は良い役をもらえず、やがて歌舞伎の世界から追われるようになります。

酒に溺れる喜久雄の姿には、卑屈になった人間の浅ましさが滲み出ていて、同時に「血筋がない」という理由だけで表舞台に立てない歌舞伎界の複雑さが突きつけられているように感じました。

春江の選択もまた、才能ある人の孤独を象徴しているように思います。
彼女は喜久雄の幼馴染であり、かつては恋人でしたが、途中から俊介と添い遂げる道を選びます。

才能があり、周囲からも賞賛されていた喜久雄よりも、傷つきながらも懸命に前を向こうとする俊介のいじらしさに、春江の庇護欲が刺激されたのかもしれません。
そう考えると、才能とは、人を孤立させるものなのかもしれない――そんな思いが胸に残ります。

また、俊介と喜久雄の間には、確かに友情がありました
表面的にはライバルでも、根っこでは憎みきれない関係。
でも、最後には俊介もいなくなってしまう。
その不在が、喜久雄の孤独をより強く感じさせる。
結局、彼の手元に残ったのは「芸」だけだったんですよね。

喜久雄は最終的に成功したように見えるけど、その裏には犠牲になった女性やその家族、そして喜久雄自身の人間性がある。

芸術を追い求めるって、何かを削ぎ落としていくことなのかもしれない——

そんなことを考えさせられました。

ちなみに、演技で一番印象に残ったのは渡辺謙さん
俊介の父・花井半次郎を演じていて、芸に生きる厳しさと、最後に滲み出る親としての愛情がすごく沁みました。

3時間と長めの映画だけど、描かれていない部分も多くて、むしろその余白がいろいろ考えさせてくれる。
原作、読んでみたくなりました。

総評:こんな人におすすめ

  • 人間関係の微妙な揺らぎに惹かれる人
    幼馴染、恋人、師弟、親子――関係性の変化が繊細に描かれ、誰の選択にも痛みが伴う
  • 才能と孤独の関係に関心がある人
    喜久雄の孤立は、成功の裏にある感情の空白を静かに浮かび上がらせる
  • “正しさ”より“揺らぎ”に価値を感じる人
    誰が悪いとも言えない選択の連続が、観る者に問いを残す
  • 読後・鑑賞後に余韻が残る作品が好きな人
    スッキリしない。でも考え続けたくなる。そんな静かな衝撃がある
  • 芸術の裏側にある人間の脆さに興味がある人
    表舞台の華やかさの裏で、酒に溺れ、役を失い、孤独に沈む姿が描かれる
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