基本データ
- タイトル/著者:『消滅都市』/村田沙耶香
- 初版発行/出版社: 2018年7月 /河出書房新社
感想
村田沙耶香さんの『消滅世界』は、ただ奇妙な設定で読者を驚かせるだけの作品ではありません。
むしろこの小説が示しているのは、「常識とはどれほど脆く、そして簡単に書き換わってしまうものなのか」という事実だと思います。
『コンビニ人間』や『地球星人』が“現代社会の枠組みに馴染めない人”を描いていたのに対し、『消滅世界』では最初から常識そのものが変質した社会が舞台になっています。
読者は冒頭から、現代の価値観がまったく通用しない場所へと放り込まれるのです。
物語の世界では、アニメや小説のキャラクターに恋をすることが普通で、ヒト同士の恋愛でも性行為は必須ではありません。
夫婦間の性行為は「近親相姦」とみなされ嫌悪され、妊娠は人工授精によって行われます。
最初は主人公・雨音と同じように「なんて奇妙な世界なんだろう」と感じるのに、読み進めるうちにその感覚が少しずつ侵食されていきます。
特に、雨音が恋人の水人と性行為をめぐってすれ違う場面は象徴的です。
現代の感覚では「恋人と身体を重ねたい」というのは自然な欲求のように思えます。
しかし、その現代の価値観に従う雨音の方が、むしろ“異常”に見えてしまうのです。
そこで初めて、私たち自身の常識の脆さが露わになります。
物語はさらに、家族制度が消滅した“超異質な世界”へと踏み込んでいきます。
住民は完全に管理され、男性でも妊娠でき、年に一度人工授精を受ける人が選ばれます。
生まれた「子供ちゃん」は、住民全員が「お母さん」として育てます。
この世界は、先ほどの“異質な世界”の住民でさえ「おかしい」と感じるほどです。
それでも雨音は、最初の違和感を抱えながらも、次第にその生活に馴染んでいきます。
かつて大切にしていた「家族」や「恋愛」への執着が薄れ、それを心地よいとすら感じ始めるのです。
この変化は、常識が環境によっていくらでも書き換わることを、これ以上ないほど鮮やかに示しています。
振り返れば、私たちの世界も同じです。
政略結婚が当たり前だった時代から恋愛結婚が主流になり、今ではマッチングアプリで効率的に相手を探すことが一般化しています。
数百年前の人から見れば、現代の私たちの世界は十分に“異質”に映れるでしょう。
つまり、雨音が“超異質な世界”に馴染んでいく姿は、私たち自身の姿でもあるのです。
もし雨音の変化に違和感を覚えたなら、その違和感は現代を生きる私たちにも向けられるべきものなのだと思います。
また、作中で雨音は、こんな言葉を語っています。
「どの世界に行っても、完璧に正常な自分のことを考えると、おかしくなりそうなの。世界で一番恐ろしい発狂は、正常だわ。」
常識が変わり続ける世界で、その都度“正常”に適応し続けること。
疑いもせず「これが普通」と思い込むこと。
その状態こそが、ある意味“発狂”なのだと雨音は言います。
そしてその言葉は、そのまま私たちにも向けられているのでしょう。
『消滅世界』は、エンタメとしても十分に強烈です。
異様な設定、先の読めない展開、時にグロテスクな描写が続き、ページをめくる手が止まりません。
一方で、現代の常識に鋭く切り込み、社会のあり方や個人の生き方を考えさせてくれる作品でもあります。
河出文庫版に収録された斎藤環氏の解説は、作品の奥行きをさらに深めてくれるので、ぜひ読んでみてほしいです。
常識は変わります。
正常も変わります。
だからこそ、今の自分が抱えている違和感を無視しなくていいのだと思います。
むしろ、その違和感こそが、次の世界へ向かうためのヒントなのかもしれません。
こんな人におすすめ
- 「普通って何だろう」と考えるのが好きな方
→ 当たり前だと思っていた基準が、環境でいくらでも変わることに気づかされます。 - ディストピア的な設定や異質な世界観に惹かれる方
→ 現実とはまったく違う社会構造が丁寧に描かれ、没入感があります。 - 村田沙耶香さんの作品が好きで、さらに深いテーマに触れたい方
→ 既存作よりも一歩踏み込んだ“常識の解体”が味わえます。 - 恋愛・家族・性の概念を別の角度から見てみたい方
→ 私たちが当然と思っている関係性の形が、根本から問い直されます。 - 自分の中の“違和感”を大切にしたいと感じている方
→ 違和感こそが新しい視点の入口だと、そっと背中を押してくれます。
